蛍  絵のない絵本 その3 



少年と言うにはまだ幼すぎた頃

麦秋から 田植えが始まるまでの間は
僕の両親は 日が暮れてもトマトの出荷の作業に追われていた

『ほたる採りに行ってくる』
僕はひとりで 既にとっぷりと暮れた外へ出た

狙いは源氏蛍である
家の前の小川や田圃の周辺にも蛍はいたが それはみんな平家蛍である
僕は源氏蛍が出てくる場所を知っていた

部落のはずれの橋は 川の両側に茂る笹の葉に覆われて
遠目にはその存在さえ判然としない

橋の上に立ってはじめて川の様子が分ってくる
思った通り源氏蛍がいた

数は少ないが その燈す灯りは 平家蛍より遥かに明るい

持ってきた箒を振り回すが なかなか捉える事が出来ない
ただ蛍を遠くへ追いやるだけである

時間と共ににその数は増えやがて大乱舞となる
箒を振り回す事も忘れて その光に見入っていた

どれ位の時間そうしていたのだろう 母の呼ぶ声で我に返る

僕は夢中で母に蛍の話をした
僕の秘密の宝をどの様にして見つけたか自慢したくて・・・

母がどんなに心配して僕を捜していたか気が付きもせずに・・・


あれから30数年 日本の至る所に 村興しや観光開発で『蛍の里』が生まれた


イエローブラウンの麦畑にコンバインが動き出した日曜日の夜
家族で小城に蛍を見に行った

祇園川周辺は 人と車が一杯で 警備員も数名出ていた
そのまま祇園川を去る

人影の少ない山麓のH川
かなりの数の源氏蛍が飛んでいた
ウチワを片手に蛍を追う子供

川沿いに蛍を眺めて歩いていて 1人のおばあちゃんに会う
近くの大きな家に1人で住んでいると言う

蛍を追う子供の声に挽きつけられて 家を出たらしい
夫は数年前になくなり 息子は福岡に暮らしていると言う
蛍の季節は親戚の子供達が訊ねてくるので それが楽しみだと言う

私も彼女の親戚の1人であるかのように
家族で蛍と共に 彼女と昔話や世間話をしながら しばらくの時間を過ごした

蛍の燈す灯りは 時間軸の移動をフリーにしてくれる
川のほとりに 私の家族と 少年になる前の私が 一緒に蛍を眺めていた



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