花喰い鳥の忘れ物
― 春の日の夕暮れに ―
寝室の外のコブシの木は
家を建てた時から植えていたもので
樹齢二十数年の立派な木である
新緑の頃にはみごとな若葉で
裏の畑に心地よい緑陰をもたらしてくれる
畑仕事の邪魔になる通路にはみ出した枝を
ハサミで切ると
爽やかなレモンの香りが
微かに鼻腔をくすぐる
三月初旬 固い蕾は早春の陽射しに膨らみ
ガクの 柔らかな羽毛を朝日に輝かせる
しかし
このコブシの花が満開になった様子を
誰も見たことがない
白い花びらが ガクから顔を出すと
すかさず
花喰い鳥が花びらを啄ばみに来るのである
早朝 期待を込めて 寝室の窓を開けると
一羽の鳥が梢を揺らして去って行く
花喰い鳥の朝食の邪魔をしたらしい
深夜営業の多い私では
花喰い鳥との早起き競争に勝てる筈もなく
出勤前に見に行くコブシの木は
花喰い鳥の食べ痕だけが増えて行く
木々や草花が
我家の庭のあちこちを
春の彩りで染め上げる頃
花喰い鳥は
一輪のコブシを 私の為に残してくれた
下のほうの梢に一輪
翌日には数輪の花が顔を覗かせた
花喰い鳥は
もっと美味しいお花が咲き出したのに
気がついたのである
今度のお目当ては ソメイヨシノ
先客のメジロを追い払って
桜の花の中で
私が近ずいても立ち去ろうとはせず
無心に花の蜜を吸っている
花喰い鳥の正体は ヒヨドリ
花喰い鳥が持ってきたものは
春の彩り
花喰い鳥が忘れて行ったものは
コブシの木の下の方に咲いた
幾つかの白い花
そして 春の日の夕暮れに
コブシの枝先には
柔らかな緑の若葉が
緑の季節の準備をしている
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